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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その5
少し専門的な解説です
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Adaptable Articulator
咬み合せの理論は総義歯から その④
下顎の運動を3次元で記録する装置の開発によって、一人ひとりの下顎の動きを計測することが可能になりました。
1912年 その記録を再現するためにAdaptable Articulator(咬合器)が開発されました。この機器は顆頭部(顎の関節部分)と前方に調整機能が付いており、現在使用されている咬合器の形態とほぼ同じです。つまり、現在の咬合器の原型をGysiが開発したことになります。
当時の理論は、全ての歯を失った人に唯一残されているのが顎の関節の動きです。そのため、その動に適応した咬み合せの義歯を作成することが理想と考えられていました。また、下顎を動かした(左右と前方)時に全ての歯が咬み合う(専門用語でフルバランスと言います)状態が理想とされていました。
そのような義歯を作成するためには、下顎の動きを正確に記録するための装置と、その動きを再現するためにこの咬合器(Adaptable Articulator)が開発されたのです。
Simplex Articulator
しかしながらこの咬合器は市場の競争の中ではまったく売れなかったたようです。そこで、
1914年、集められた下顎の動きのデータを基に調整機能の無い平均的な数値で作成されたのがSimplex Articulator(平均値咬合器)です。80%の総義歯の患者に適応させるために、下顎を動かした時に平均的な動き方に設定してあるので、この咬合器を使えば多くの人の総義歯を容易に作成でるのです。
この咬合器は私が学生の時の総義歯の作成時に使いましたし、現在でも学生実習では使われているようです。つまり、100年以上も前に総義歯の基本的な考え方が確立したとも考えられます。