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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その7
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
ナソロジー その①
1926年Mccollmを中心に「カリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティ」が設立されました。
そのメンバーは、Mccollmの考えに心酔し機器類に強いStuart、教育学・農学・化学・生物学を学んだ後に歯科大を卒業し、その後アングル矯正学校で学び、開業していた Stallartと16名の歯科医師です。このグループは
「顎口腔系における解剖学・組織学・生理学・病理学などの見地により、
診査診断、治療計画を基礎とし、顎口腔系を機能的な1つの単位ととらえ、その調和を図る」
ことを目的として研究が行なわれ、これがナソロジーの咬合理論の始まりだと考えられます。
このグループは総義歯の咬合理論を基礎に有歯学に応用するために、より正確な上下の歯の咬み合う位置と下顎の動きを精密に計測し、その動きを再現するための精密な咬合器の研究開発が行なわれました。その理由は、総義歯は歯ぐきの上のため少し動きますが、歯は骨に埋まって動きが少ないため総義歯の理論より高い精度が必要と考えたからです。
最初に研究されたのが上下の歯が咬み合う位置を決定する方法です。
下顎が開閉する時に顆頭(下顎の顎の関節部)が回転軸の中心となります。1920年初頭にMccollmは、変化しない回転軸を求めて、顆頭を関節部の最後壁に押し付けた状態で下顎を開閉させれば、変化のない再現性の高い回転軸を計測できるこが可能になると考えました。これがターミナル・ヒンジアキシスの理論です。回転軸の中心を決定して計測し、再現できれば上下の歯が咬み合う位置は決定できます。
1927年その回転軸の中心を計測し咬合器上で正確に下顎運動を再現するためにフェイスボウが開発されました。
※ターミナルと表現した理由は、この位置が基点となるという意味がこめられていたと思われます。欧米の駅は阪急梅田駅、昔の東横線の渋谷駅のように基点でこれ以上へ行けない形式です。つまり回転軸の中心の顆頭の位置が基点でこれ以上後方へ行けないことでターミナルとしたと憶測できます。