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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その9
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
ナソロジーの咬合理論 その③
1950年3次元的に下顎運動を記録するナソグラフを進化させて、6つの描記板に記録することによって3次元的に分析したパントグラフが開発されました。(写真左)1955年パントグラフの記録を再現するための全調節性の咬合器が開発されました。(写真右)
1800年代は総義歯(歯が無く入れ歯だけ)の咬合理論しかなく、安定して良く咬める総義歯はフルバランスという下顎を前後左右に動かした時に全ての歯が接触し続ける咬み合せが主流でした。その理論は1900年代中盤になっても理想の咬合理論だと考えられていたため、ナソロジーもその理論を引き継ぎ、有歯顎(歯がある)においてもフルバランスが理想と考えられていました。
ナソロジーは有歯学においてフルバランスを再現するために総義歯より高い精度が必要だと考えたため下顎の動きをより正確に記録し、咬合器に再現するための機器の研究開発が継続されました。