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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その10
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
ナソロジーの咬合理論 その④
1950年パントグラフの開発されたのと同じ年
P.K.Thomas は修復物(歯を治療する時の冠など)を作成するための手法(ワックス・コーン・テクニック)を考案しました。その形態は崩出直後(歯が生えた直後で磨り減って無い状態)の解剖学形態(学問的な形)に近い形態で上下歯牙の咬合接触(上下の歯がどの部分で当たるか)の基準を示しました。
当時のナソロジーの考えは総義歯の基本的概念と同様にフルバランス(下顎を前方、側方に動かした時に全ての歯が接触する)の様式を有歯顎(歯がある)へも引き継ぎました。P.K.Thomas が考案したこの手法も、この考えに従った咬み合わせを実現させています。現在でもこの形態や作成方法は支持する歯科医や技工士は多いようです。
ナソロジーの修復方法
P.K.Thomasの咬合面形態でフルバランスの咬合接触を付与する方法として、臼歯の咬合面から作成されました。またこの考えはナソロジーを学んだ歯科医師の基本とされてきたため、修復の順番からナソロジーグループであることがわかります。また、「スチュアートグルーブ」「トーマスノッチ」と命名された歯の形態はフルバランスを付与しようとしたために咬頭が通過するために考えられた形態です。
<余談です>
P.K.Thomasはニューオリンズの孤児院育ちでしたがMccollm に雇われました。その後、Mccollmから学費の支援を受けて1939年USC卒業(歯学部)します。
P.K.Thomas は1949年Mccollmが卒中で倒れてから、1969年に亡くなるまでが面倒を見られたそうです。Mccollmが倒れた時にナソロジーは混乱しますが、 P.K.Thomas の卓越した講演能力でナソロジーを牽引していく立場になります。