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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その13
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
ナソロジーの咬合理論 その⑦
ナソロジーの中心位、最大咬頭嵌合位の変遷
ナソロジーの原点は有歯学の治療に際して総義歯より精度が高く再現性の高い最大咬頭嵌合位(中心位)を再現しようとしたことです。その始まりとなったのが1920年頃Mccollmは変化しない回転軸を求めて、顆頭を関節部の最後壁に押し付けた状態で下顎を開閉させれば、顆頭は単純な回転運動になり、変化のない再現性の高い回転軸を計測できるこが可能になると考えたことです。これがターミナル・ヒンジアキシスの理論です。(上図左)
その後の約40年間はナソロジーの主流の理論でしたが、1962年にGrangerは顆頭の理想的な位置を求めて顆頭は関節窩内の後方と上方の2点に固定されると修正し(上図中央)、1973年にStuartは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するために内側からのもう一つの接触点を加えることで、3つの支点によって安定した位置に固定させると考えられました。これがRUMといわれる rearmost, uppermost, midmostです。(上図右)
しかしながら、ターミナル・ヒンジアキシスへの下顎の誘導方法は確立されていましたが、1962年の後方と上方の2点、1973年のRUM は理論だけで明確な誘導方法は不明です。