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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その15
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
PMS、Dawson その②
MccollmとSchuylerの違いとは
当時は総義歯における最大咬頭嵌合位はゴシックアーチを用いて
ナソロジーのMccollmは再現性が高い最大咬頭嵌合位(point centric)を求めるために、下顎の開閉時の高い精度の回転軸の計測と再現を試みました。つまりより精度の高い最大咬頭嵌合位を求めるための研究が行なわれてきました。そのためSchuylerの最大咬頭嵌合位における自由域(long centricといわれる水平的自由域)を設けることとは大きく違います。
つまり、当時の歯科界は有歯学においてもゴシックアーチを用いて最大咬頭嵌合位を求めることが主流でしたが、Schuylerは逆に許容範囲の大きい最大咬頭嵌合位にしたと考えられます。
また、当時の下顎運動時の咬合理論も総義歯の流れを汲む考えが歯科界の主流でした。下顎運動を再現するために顆頭の動きを分析し臼歯が主体のフルバランスを基本としました。1926年HanauがHanau Quintとしてバランスド アーティキュレーション(フルバランス)を支配する五要素として1.顆頭誘導、2.前歯誘導、3.咬合平面、4.調節弯曲、5.咬頭高という5つのポイントを明示した時に前歯誘導は5つの要素の中の1つに加えられています。当時のSchuylerも前歯の接触も含めたフルバランスを基本とする理論でした。