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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その21
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
PMS、Dawson その⑧
1958年PMテクニックや理論の論議するために全米各地から選別した歯科医師12名によってOcclusal Rehabilitaion Seminarが結成されました。そして、毎年テクニック内容、展開手順、理論の論議を継続して行なわれました。このようなメンバーの弛まぬ研究と議論によって多くの成功例を積み重ねた結果、このテクニックが真の歯科専門職を生むと確信でたようです。
予断ですが、メンバーは全米と記載されていますがアメリカ東部だけです。
SchuylerがPMセミナーを受講した時、Pankeyが冗談半分に
「クライド(Schuyler)君は君の知っていることを仲間に伝えずに死んでしまうよ。」
と言ったそうです。このことをきっかけにSchuylerはPM哲学の教授になり治療哲学の構成に協力しました。そしてSchuylerの計りしれない貢献を認め1960年Schuylerの名前が加えられて「PMS理論」へと発展します。
1954年に歯科大学を卒業したDawsonは、ミシガン大学のPerioの Ramfjord のところで学んだ後にこのセミナーを受講しました。その時、 Pankeyは彼の卓越した素質を認め主要メンバーに加えました。Dawsonは、「なぜ私のような若者が選ばれたのか不思議だった」と当時のことを振り返っています。
余談です。
Pankey哲学、PMS理論が日本国内に広められるきっかけとなったのが川村泰雄(ホリスティックデンティストリー)先生、川村貞行(大阪デンタルリサーチグループ)先生、峯田拓弥(CDC)先生が、Occlusal Rehabilitaion Seminar 12名の歯科医師の一人でもあるDavid A. Hoffman (Milwaukee)との出会いがきっかけです。DavidからPankeyを紹介され、その後、山口和久(大阪デンタルリサーチグループ)先生が長期渡米されて、David A. Hoffman、Pankeyと親交を深められ信頼を得られたことによってPankey哲学、PMS理論を日本国内に広めることを許可されます。
そして1961年CDC(コンディニアル デンティスト クラブ)、1962年ODRG(大阪デンタルリサーチグループ)が、この考えを広めるためのスタディグループとして創設されます。