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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その24
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
1926年から長年に渡って試行錯誤されたナソロジーとPMS、Dawsonグループの有歯顎の咬合理論の歴史をまとめると
ナソロジーグループは
有歯顎にとって理想的な咬合を付与するための研究開発を試みました。1920年以前に研究されてきた総義歯の咬合理論を基礎に、下顎運動(主に顆頭の運動経路)をより正確に計測する機器と、その計測されたデータを正確に再現するための咬合器を開発しました。その過程でナソロジーの咬合理論が確立されてきました。
PMS,Dawsonグループは
Pankey はSchuylerの咬合理論を基に顆頭誘導は第二義的なものとし、前歯が下顎を主導的に誘導すると考え、咬合器に頼らないで口腔内での調整を主としました。 その後、Pankeyの理論をより効率的で臨床結果が伴う治療手方法としてMannが整理統合しPMマニュアルを完成させました。その方法を臨床で検証するために全米各地から選別した歯科医師12名によってOcclusal Rehabilitaion Seminarが結成しテクニック内容、展開手順、理論の論議を継続して臨床で検証し続けました。そして、その治療手法が科学的に正しいことをDawsonが立証しました。