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咬み合せの歴史  その27

少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
「Occlusion Focus Meeting」の結論を理解するためには、ナソロジーグループとPMS,Dawsonグループそれぞれの咬合理論の歴史を知れば容易に理解できます。
解説その①
3つの論点の1つ目です
Ⅰ「最大咬頭勘合位における顆頭位」関して
まずはナソロジーグループ、PMS,Dawsonグループの最大咬頭勘合位における顆頭位に関する見解の歴史を理解することで、意見の違いがわかりやすくなるので解説します。
ナソロジーグループ
aa図20.jpg aa23.jpg aa図21.jpg   
ナソロジーグループは、1924年にMccollmが変化しない(再現性の高い)回転軸を求めてターミナル・ヒンジアキシス(左の図)という考えを臨床に生かそうとしました。顆頭を最後壁に固定することで再現性の高い顆頭位という理論を展開しました。当時は1901年にGysiが開発した総義歯における最適な顆頭位のとしてゴシックアーチを使用しゴシックアーチの矢ポイントを中心位とし咬合を一致すると考えが主流でした。そのためゴシックアーチの矢ポイントに近い位置だと考えられます。
その後は1962年にGrangerが顆頭は関節窩内の後方と上方の2点に固定されると考え(中央の図)、1973年Stuartが3つの支点のRUM(rearmost, uppermost, midmost)が発表さます。(右の図)
しかしながら、この理論は具体的な中心位への誘導方法は示されていません。
PMS,Dawsonグループ
図14.png 図13.jpg 誘導1.jpg
PMS,Dawsonグループの起源はSchuylerが1920年代からゴシックアーチの頂点、最後退安静位でその位置から側方運動ができる位置を中心位とし、トレーサー(ゴシックアーチ)を使用できない有歯顎ではHickok bite-checkの牽引器(左の図)を使用しました。Schuylerの中心位の定義は明らかに最後退位で当時のゴシックアーチの矢ポイントの考えと同じでしたが、Schuylerが臨床での最大咬頭勘合位は当時の中心位(最後方位)の少し前方にあり、中心位と最大咬頭勘合位の間には水平の自由性を与えました。(中の図) ※詳しくは「咬み合せの歴史16」
1973年Dawson が中心位への誘導方法(左図)とともに関節窩における最適の顆頭位置を最上位としています。