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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その33
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Ⅲ「偏心位の特徴」関しての結論 その①
「偏心位の特徴」の結論の前にナソロジーグループとPMS,Dawsonグループそれぞれの偏心位に対する咬合理論の歴史を解説します。
ナソロジーグループ
有歯学の咬合理論は総義歯の咬合理論を基礎にしていました。ナソロジーグループもこの考えを基礎にしていたので、偏心位の考えは臼歯咬合を優先させたフルバランスでした。その後1950年に.K.Thomas がワックス・コーン・テクニックと共に咬合面形態と上下歯牙の咬合接触を考案していますが、この時も総義歯と同様に臼歯をフルバランスで作成した後に前歯を作成していました。そのため咬頭が隆線や頬側咬頭を接触しながら抜けるための臼歯の歯冠形態としてスチュアートグルーヴ、トーマスノッチが考案されました。
1960年にミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンに変更されてからも、その咬合面形態と臼歯からのフルバランスでの修復方法は変更されませんでした。変更点は、臼歯をフルバランスで作成した後に、上顎犬歯の舌面の形態を付加することによって臼歯離開咬合させ、臼歯が一定の間隔で離開することで咀嚼効率を保つというオーガニック・オクルージョンという理論を展開しました。
PMS,Dawsonグループ
SchuylerもPankeyも当初はフルバランスでした。
Schuylerの咬合理論は1966年に出版されたSigurd P.Ramfjord ; Major M.Ash書籍に記載されている咬合接触の状態の図が解かり易いので引用します。左図は咬頭勘合位と右図は下顎運動時のフルバランスの接触状態です。1947年に非作業側接触(黄色の接触)を排除し、1960年には作業側の臼歯舌側斜面(青色の接触)を排除し、1974年にDawsonが臼歯の接触(全ての臼歯の青色の接触)を排除してアンテリアグループファンクション(前歯の青色の接触のみ)と徐々に変更されてきました。