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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その44
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ④
その後のナソロジーの書籍
1960年代からの国内におけるナソロジーはP.K.Thomasの咬合権形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法の変更はありませんでしたが、中心位の誘導方法の見解には少し変更がみられるようになります。(中心位と最大咬頭嵌合位は一致させていました)
1974年「The color atlas of oral rehabilitation」保母先生の書籍が出版され、1977年には保母先生関わった訳本「Gnathology」が出版されます。この2冊を比較すると中心位への誘導方法がオトガイを強く押すことからスリーフィンガーに変更されています。1973年にスチュアートは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するために内側からのもう一つの接触点を加えることで、3つの支点によって安定した位置に固定させると考えられました。
いわゆるRUMといわれる rearmost, uppermost, midmostです。この点を踏まえてナソロジーの誘導方法が変更されたと考えられます。その他の考えは従来のナソロジーとの違いはありません