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咬み合せの歴史  その46

少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑥
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金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生の回想録(オクルージョンの半世紀)から
国際ナソロジー学会の創設と学会誌が創刊された1979年。アメリカのサンディエゴで開催されたナソロジーの大会(9th International Academy of Gnathology)でメインスピーカーが集まったホテルの一室で中心位変化することを認めるか否かで問題が発生した時の様子から桑田正博先生はナソロジーが崩壊したと感じられたようです。つまり、1979年は国内でナソロジーの理論が注目され学会まで創立されたナソロジーは、その基になるアメリカでのナソロジーの方向性が失われた時でもあるようです。
1924年にマッカラムが変化しない(再現性の高い)回転軸を求めてヒンジアキシスという関節の考えを臨床に生かそうとして1927年に創設されたナソロジーです。その歴史を振り返ると、中心位への見解が変更され続けた歴史でもあり、論理的に臨床的に問題が起こるため変更され続けたと解釈できます。そして、1979年中心位への見解の違いでナソロジーが崩壊したとも考えられます。