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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その47
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑦
ナソロジー学会における中心位への誘導方法の変化
国内において1960年代からの国内におけるナソロジーはP.K.Thomasの咬合権形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法の変更はありませんでした。しかし、中心位の誘導方法の見解には少し変更がみられるようになります。(中心位と最大咬頭嵌合位は一致させていました)
1980年のナソロジーの学会誌には
小嶋寿先生が「中心位の記録の合理的な採得」という論文に中心位への誘導はドウソンテクニックが確実であると記載されています。つまり、当時のナソロジーは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するRUMという理論とスリーフィンガーによる中心位への誘導方法が主流だったのですが、PMS,Dawsonの咬合理論の誘導方法の方が合理的であるという見解です。
おそらく、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生の回想録から、1979年のナソロジーの大会で中心位が変化することが議論されたことによって、より安定する誘導方法を模索したところドウソンテクニックの方が確実だという結論に至ったと推測されます。