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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その56
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑯
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後
筒井昌秀先生はP.K.Thomasの咬合面形態を独自の形態に少し変更されることや、当時の丸山剛郎先生の考えを参考にされた中心位への誘導方法に変更されるなどの従来のナソロロジーを基礎に試行錯誤が繰り返されたことが推測できます。中心位に関しても写真のように座位で下顎に軽く触れての誘導方法はオーストラリアン、ナソロジーを参考にされていると思われます。しかしながら前記のとおり、この誘導方法は咬筋、内側翼突筋、側頭筋が弛緩した状態での誘導のため、下顎が重力で下方に位置するため、顆頭が前上方へ牽引されている従来の中心により下方に位置します。