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咬み合わせの歴史歯科治療
咬み合せの歴史 その57
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑰
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後


この書籍は臨床例を示しながら治療法を解説され、調節性咬合器を使用し(※1)イミディエイトサイドシフトは肯定されています。また、ナソロジーの咬合接触を紹介した上で独自の接触と誘導法はドウソン法を紹介した上でランフォードやスカイラーに近い誘導方法を採用されています。


一方、山崎先生監修のこの書籍は審美インプラントを中心とした症例集で咬合接触点からナソロジーと考えられます。誘導法の記載はありませんが臨床例でPKトーマスの3点の咬合接触が印記されている口腔内の画像は筒井先生の書籍とこの書籍しか見ることはできません。
(※1)1955年に開発された全調整性咬合器によって顎運動が再現された中に顆頭の動きとしてイミディエイトサイドシフトが考案され、多くの咬合器にその機能が取り入れられました。しかしながら、1989年に出版されたオクルージョンの臨床 P.Dawson第2版ではイミディエイトサイドシフトが下顎運動を記録するためのパントグラフの機械的な設計ミスによってイミディエイトサイドシフトが記録されてしまうため実際には存在しない動きであることを立証しています。