少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑱
ナソロジー学会のその後

2013年に出版された小出先生の書籍では、臼歯の咬合はPKトーマスの形態は維持しつつ従来の3点接触より多くの接触を加えた ABBCです。ところが前歯の接触はPMS.Dawsonグループの形態で自由域があります。そのため、前歯がロングセントリックで臼歯がポイントセントリックと論理的な整合性がありません。また、咬合接触点があまりに多いことも臨床では実現が難しい咬合接触を考えられています。そのためなのかこの書籍での臨床例はありません。また、現時点までこの理論の臨床例や改訂版などは出版されていません。
ここからは私の推測になりますが小出先生は2007年に出版されたDawsonのオクルージョンの臨床の3版を監修されており、PMS Dawsonとナソロジーの両論理の一部を取り入れたのではないかと推測できます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑰
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後
この書籍は臨床例を示しながら治療法を解説され、調節性咬合器を使用し(※1)イミディエイトサイドシフトは肯定されています。また、ナソロジーの咬合接触を紹介した上で独自の接触と誘導法はドウソン法を紹介した上でランフォードやスカイラーに近い誘導方法を採用されています。

一方、山崎先生監修のこの書籍は審美インプラントを中心とした症例集で咬合接触点からナソロジーと考えられます。誘導法の記載はありませんが臨床例でPKトーマスの3点の咬合接触が印記されている口腔内の画像は筒井先生の書籍とこの書籍しか見ることはできません。
(※1)1955年に開発された全調整性咬合器によって顎運動が再現された中に顆頭の動きとしてイミディエイトサイドシフトが考案され、多くの咬合器にその機能が取り入れられました。しかしながら、1989年に出版されたオクルージョンの臨床 P.Dawson第2版ではイミディエイトサイドシフトが下顎運動を記録するためのパントグラフの機械的な設計ミスによってイミディエイトサイドシフトが記録されてしまうため実際には存在しない動きであることを立証しています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑯
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後


筒井昌秀先生はP.K.Thomasの咬合面形態を独自の形態に少し変更されることや、当時の丸山剛郎先生の考えを参考にされた中心位への誘導方法に変更されるなどの従来のナソロロジーを基礎に試行錯誤が繰り返されたことが推測できます。中心位に関しても写真のように座位で下顎に軽く触れての誘導方法はオーストラリアン、ナソロジーを参考にされていると思われます。しかしながら前記のとおり、この誘導方法は咬筋、内側翼突筋、側頭筋が弛緩した状態での誘導のため、下顎が重力で下方に位置するため、顆頭が前上方へ牽引されている従来の中心により下方に位置します。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑮
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後

2000年代になるとナソロジーという記載の書籍が無くなります。但し、ナソロジーの基本であるP.K.Thomasの咬合権形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法や著者の過去の歴史からナソロジー関係の書籍だと判断して分類しました。
国際ナソロジー学会アジア部学会誌が日本顎咬合学会誌の「咬み合せの科学」となって以降はナソロジー関係の論文はなくなりました。2000年から2015年に国内で出版された書籍の中でナソロジーの特徴が見られた書籍は筒井昌秀先生、山崎長郎先生と山崎先生の医院へ勤務されていた今井俊広先生の書籍です。
全ての共通点が咬合面形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法です。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑭
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後


1980年以降のナソロジーグループにおける中心的な理論のシークエンシャル咬合理論で、オーストラリアン、ナソロジーとも呼ばれている咬合理論の2冊目の書籍が10年後の2014年に「咬合治療ナビゲーション」として出版されています。
順次離開のための特殊なインサイダルテーブルを使用し、臼歯から修復し犬歯を盛ることによって臼歯を離開させています。これらの点からナソロジーを基本とした流れを汲む理論です。
一般的な咬耗が犬歯、小臼歯、大臼歯の頬側咬頭に起こることから、それを再現しようとして特殊なインサイダルテーブルが考案されています。
個人的な見解ですが、1958年にダミーゴが自然人類学的立場から、約200万年前から人も含めた霊長類の天然歯の起源と進化を分析して犬歯がストレスブレーカーであることを発表し、それをナソロジーが取り入れたのに加えて成長過程を加えたもので同じような理論展開のように感じました。
中心位への誘導は座位で、オトガイ部を軽く触る誘導法です。この誘導方法では1976年Occlusion Focus Meetingで結論となった中心位とは違う位置になってしまうことに関する記載はありません。
また、この誘導方法の問題点に関しては1989年に出版されたオクルージョンの臨床 P.Dawson第2版に記載されています。座位の安静位は下顎が重力で下がり、それに従って関節頭も下方に下がるため臼歯が離開した状態の咬合位になることが解説されています。(下図)

この書籍に掲載されている臨床例は2歯のCrの修復例だけという点も残念でした。この書籍以降、この咬合理論を見聞きすることはなくなりました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑬
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後
舘野先生にも確認したところ1980年以降のナソロジーグループにおける中心的な理論は1981年R.Slavicekが考案したシークエンシャル咬合理論で、オーストラリアン、ナソロジーとも呼ばれている咬合理論です。ナソロジーの咬合理論をベースにして著者がオーストラリア出身からこのように呼ばれていたと思われます。
ナソロジーの理論をベースに脳頭蓋系と神経筋機構と調和するために、成長・発育と共に順応、獲得した固体と調和させようとしたといわれる咬合理論です。特徴は、咬合様式が順次離開誘導咬合(Sequential functional guidance occlusion) といわれ、側方運動時、犬歯が主導的に犬歯から後方の歯牙を離開させる。このことが成長発育の過程で自然に獲得した咬合誘導路と考えた理論です。
2005年に出版された書籍は訳本でSAM咬合器を独自のインサイダルテーブルの調節性の咬合器を用いています。その特徴はインサイダルテーブルを上顎に取り付けられ、模型上でのワックスアップ法はナソロジーの理論でPK.Thomasの咬合面形態と咬合接触と臼歯からの修復が紹介されています。残念なのは、この書籍に臨床例の掲載はありませんでした。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑫
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後

2002年には保母先生に師事され、村岡先生と共に誘導法の検証された岩田建夫先生が出版されます。
岩田先生が中心位への誘導法はリーフゲージ、アンテリアジグが紹介されており、偏心位での臼歯離開咬合をアンテリアディスクルージョンと記載され軽く咬合時に前歯は10μ抜ける咬頭嵌合位が示されています。その後2008年には改訂版が出版されています。
中心位への誘導方法に関しては、日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑪の保母先生の書籍の分析でも紹介しましたが、リーフゲージの使用では下顎前歯が斜面での接触になるため下顎は後方へ押されるため、顎位は後方になります。また、軽く咬合時に10μ抜ける咬頭嵌合位は上顎の舌側の斜面に下顎前歯の切端が咬合接触するため、リーフゲージと同様にナソロジーの咬合(PK.Thomas)の咬合接触では仕方ない点に関しては改めて解説します。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑪
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後


1989年保母先生の書籍としてインプラントの咬合として出版されます。この頃になるとナソロジーという文字が殆どなくなりますが、顎位の誘導方法以外の内容はナソロジーの理論が多く反映されているのでナソロジーの書籍だと判断しました。誘導方法はリーフゲージが使われています。1995年に出版された保母先生監著の「咬合学」では中心位への誘導は1984年の論文のバイラテラル法、オトガイ誘導法、アンガイド法の比較共にリーフゲージ、アンテリアジグが記載されています。
リーフゲージ、斜面のアンテリアジグ(左下の図)を使用する誘導方法は上顎下側面斜面に下顎前歯の接端が咬合するため下顎が後方へ押されてしまい中心により後方に誘導される結果になります。アンテリアジグが平らな面で下顎前歯が咬合する場合(右下の図)は咬筋、内側翼突筋によって顆頭は上前方へ押し付けられ中心位へ誘導されると「オクルージョンの臨床」第2版P.Dawsonに記載されています。このように、アンテリアジグでは下顎が後方へ誘導されるため従来の中心により後方になると分析されています。
1984年にバイラテラル法が最も優れた誘導方法だと記載されてから数年後の書籍で変更されていることは不明です。

オクルージョンの臨床;P.Dawson
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑩
ナソロジー学会のその後

1960年代からナソロジーは徐々に注目を集め、1979年から国際ナソロジー学会アジア支部が創設され学会誌が創刊されましたが3年後の1982年には日本顎咬合学会誌となりました。そして1999年から日本顎咬合学会誌の「咬み合せの科学」となります。その内容も徐々にナソロジーを基本とした考えは無くなり、広く歯科一般の考えを掲載する学会へと変容していきました。このことを舘野先生に確認したところ、色々な考えを受け入れるほうが良いと思うとのことでした。
私は1985年に歯科大学を卒業し東京に就職した時は殆どの勉強会でナソロジーが最も支持されていた咬合理論でしたが、数年後には徐々に色あせていくように感じていました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑨
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後

保母先生の書籍に中に1984年保母先生と岩田先生が誘導法を検証されています。その結果はバイラテラル法(ドウソン法)が三次元的にも誤差はほとんど無いという結果が掲載されています。比較としてオトガイ誘導法、スリーフィンガーの数値が掲載されていますが、その結果は明確です。オトガイ法は当時のナソロジーで多くの先生が行なわれていた方法だと思われますが、アンガイド法がどのような誘導法かはわかりませんでした。
このように、1980年代初頭のナソロジー学会で様々な先生がオトガイ誘導法よりダブルハンドテクニック、バイラテラル法(Dawsonの誘導方法)の方が優れていることが学会誌や様々な書籍で発表されています。
但し、ナソロジー学会の中でも中心位の定義に関してはそれぞれの先生の解釈や表現が異なります。その中にターミナルヒンジアキシスとの記載もあり、ナソロジー学会で統一された意見を見つけることはできませんでした。
中心位と最大咬頭嵌合位は一致させるという方向には向いていたと思われます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑧
ナソロジー学会における中心位への誘導方法のその後


小嶋寿先生が1980年のナソロジーの学会誌に中心位への誘導はドウソンテクニックが確実であると記載された2年後の1982年、ナソロジー学会で村岡先生と岩田先生が中心位における顆頭の水平的および垂直的位置に関する研究の中でスリーフィンガー、バイラテラル、MCL法において、その検証結果が記載されています。(※MCL法はDawsonの誘導方法の理論を基礎として村岡先生が開発された器具を使用。バイラテラル法はDawsonの誘導方法)スリーフィンガーは当時のナソロジー学会では良く使用されていた誘導方法だったと思われます。ただし、スリーフィンガーでの誘導法の起源は不明です。

同年のナソロジーの学会誌に阿部晴彦先生も中心位記録採得法としてドウソン法が紹介されています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑦
ナソロジー学会における中心位への誘導方法の変化
国内において1960年代からの国内におけるナソロジーはP.K.Thomasの咬合権形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法の変更はありませんでした。しかし、中心位の誘導方法の見解には少し変更がみられるようになります。(中心位と最大咬頭嵌合位は一致させていました)


1980年のナソロジーの学会誌には
小嶋寿先生が「中心位の記録の合理的な採得」という論文に中心位への誘導はドウソンテクニックが確実であると記載されています。つまり、当時のナソロジーは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するRUMという理論とスリーフィンガーによる中心位への誘導方法が主流だったのですが、PMS,Dawsonの咬合理論の誘導方法の方が合理的であるという見解です。
おそらく、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生の回想録から、1979年のナソロジーの大会で中心位が変化することが議論されたことによって、より安定する誘導方法を模索したところドウソンテクニックの方が確実だという結論に至ったと推測されます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑥

金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生の回想録(オクルージョンの半世紀)から
国際ナソロジー学会の創設と学会誌が創刊された1979年。アメリカのサンディエゴで開催されたナソロジーの大会(9th International Academy of Gnathology)でメインスピーカーが集まったホテルの一室で中心位変化することを認めるか否かで問題が発生した時の様子から桑田正博先生はナソロジーが崩壊したと感じられたようです。つまり、1979年は国内でナソロジーの理論が注目され学会まで創立されたナソロジーは、その基になるアメリカでのナソロジーの方向性が失われた時でもあるようです。
1924年にマッカラムが変化しない(再現性の高い)回転軸を求めてヒンジアキシスという関節の考えを臨床に生かそうとして1927年に創設されたナソロジーです。その歴史を振り返ると、中心位への見解が変更され続けた歴史でもあり、論理的に臨床的に問題が起こるため変更され続けたと解釈できます。そして、1979年中心位への見解の違いでナソロジーが崩壊したとも考えられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ⑤
その後のナソロジーの書籍
1979年国際ナソロジー学会アジア支部が創設され学会誌が創刊

1964年に保母須弥也先生はインディアナ大学から帰国されます。その時に保母先生のお父様が歯科医師会で親交のあった村岡先生にお願いして、保母先生がアメリカで学んだナソロジーを広めるための歯科会で有名だった村岡博先生を会長として保母研修同好会が発足しました。川村貞行先生は保母須弥也先生がンディアナ大学に在学中に表敬訪問されたそうですが、日本でナソロジーが受け入れられるか不安で相談されたそうです。
その後、1967年Luciaを招いてのゼミナールが開催され、その書籍が1970年代に3冊の書籍が出版され徐々にナソロジーが国内に広がり始めました。そして保母須弥也先生が会長、ナソロジーのP.K.Thomasと親交が深かく帰国された舘野常司先生が監事として1979年に国際ナソロジー学会の創設と学会誌が創刊されます。その後は国内では最も注目される咬合理論として多くの先生に受け入れられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ④
その後のナソロジーの書籍
1960年代からの国内におけるナソロジーはP.K.Thomasの咬合権形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法の変更はありませんでしたが、中心位の誘導方法の見解には少し変更がみられるようになります。(中心位と最大咬頭嵌合位は一致させていました)


1974年「The color atlas of oral rehabilitation」保母先生の書籍が出版され、1977年には保母先生関わった訳本「Gnathology」が出版されます。この2冊を比較すると中心位への誘導方法がオトガイを強く押すことからスリーフィンガーに変更されています。1973年にスチュアートは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するために内側からのもう一つの接触点を加えることで、3つの支点によって安定した位置に固定させると考えられました。
いわゆるRUMといわれる rearmost, uppermost, midmostです。この点を踏まえてナソロジーの誘導方法が変更されたと考えられます。その他の考えは従来のナソロジーとの違いはありません
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー ②
国内で最初のナソロジーの書籍
1970年に出版された「ルシアのオーラルリハビリテーション」がナソロジー理論を掲載した始めての書籍だと思われます。この書籍は1967年11月に当時のナソロジーの中心メンバーであるLuciaを招いてのゼミナールの内容がまとめられています。記載されている写真から中心位へ誘導する方法はLuciaのジグを用い、座位でオトガイを強く押していることから、顎位は最後方位のターミナルヒンジアキシスだと思われます。
ナソロジーの中心位の歴史は1920年代にMccollmがターミナルヒンジアキシスを考案した後は1962年にGrangerが顆頭は関節窩内の後方と上方の2点に固定されると考えられていますが誘導方法は明確ではありませんでした。この書籍は1967年の講演なので当時のLuciaが考える誘導方法であったと思われます。
1976年Occlusion Focus MeetingにおいてもLuciaのジグは有効な中心位への誘導方法だと結論付けられています。現在においても使い方によっては有効な中心位への誘導方法だと検証されています。但し、当時の書籍に掲載されている座位でオトガイを強く押す誘導方法では最後方位になってしまいます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史 ナソロジー①
国内で最初のナソロジーの書籍は1967年11月にルシアを招いてのゼミナールの内容をまとめた「ルシアのオーラルリハビリテーション」が1970年に出版されます。舘野先生の記録も参考にしながら日本国内におけるナソロジーの活動は
1960年Dr. Ben Pavone が国内初のナソロジーの講演(写真)

1963年日本大学歯学部補綴学教室がナソロジー・セミナー開催
1963年舘野常司先生はP.K.Thomasと親交を深められた後にアメリカ留学から帰国されナソロジーの診療を開始
1964年保母須弥也先生はインディアナ大学でナソロジーを学ばれたた後に帰国されます。村岡博先生を会長として保母研修同好会が開催
1967年Luciaを招いてのゼミナール
1979年国際ナソロジー学会アジア支部が、保母須弥也先生が会長、舘野常司先生が監事で創設され学会誌が創刊されます。
これらが日本国内におけるナソロジーの歴史の始まりです。
余談ですが、
保母先生のお父様と村岡先生は同じ地域の歯科医師会で親しく活動されていた関係だったので、保母先生が帰国時にナソロジーを広めるために保母研修同好会の会長に就任されたそうです。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
国内で出版された書籍の中でナソロジーの書籍

ナソロジーの書籍だと分類した理由は、著者が1979年国際ナソロジー学会アジア支部の発足した時の主要メンバーであることと、書籍の内容がナソロジーの基礎であるP.K.Thomasの咬合面形態と咬合接触、臼歯から修復してから犬歯を含めた前歯を修復することで臼歯離開咬合とする治療方法である点です。但し中心位の誘導方法の見解には時代とともに変更がみられますが、中心位と最大咬頭嵌合位は一致させています。
以上の分類基準からナソロジーの書籍は1970年代に7冊、1980年代に2冊、1990年代が1冊、2000年代に4冊出版されています。国際ナソロジー学会誌は1982年に創刊され1999年からはナソロジー以外の理論も掲載されるようになり咬み合せの科学となるので明かにナソロジーと思われる掲載内容のみを参考にしました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、1911年に創立した大阪歯科大学の図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
日本国内での咬合理論の歴史を書籍から分析する
日本国内における書籍や学会誌から有歯学の咬合に関する書籍を分類したところ、最も古い書籍は1962年「オーラル・リハビリティション(咬合改良法)」中沢勇 ; 小林俊三 ; 小沢孜でした。その内容は咬耗と欠損の患者さんをメタルのスプリントで挙上してから、全顎治療の1症例の治療過程が掲載されています。
国内の歯科医師育成の歴史は1890年に最も古い東京歯科大学の前身の歯科の専門学校が創設され1946年に大学に認可されています。このことから考えれば日本国内においては1950年代から有歯学の咬合理論が研究され始めたと思われます。そして、1950年代は保母須弥也先生、舘野常司先生など多くの著名な先生方がアメリカ各地で学ばれた後に帰国され、その理論を広められたと考えられます。
2000年代までに国内で出版された書籍や学会誌から咬合に関する書籍を分析すると、有歯学の書籍は1960年代が2冊、1970年代が19冊、1980年代が30冊、1990年代が37冊、2000年代は49冊と徐々に増えていきます。それらの中であきらかにナソロジーと思われるものが 1970年代に7冊、1980年代に2冊、1990年代が1冊、2000年代に4冊出版されており最多の著者が保母須弥也先生です。また、保母先生に師事されていた岩田建夫先生も2冊出版されています。
一方、PMS,Dawsonの書籍は1970年代から出版されているSigurd P.Ramfjord ; Major M.Ash の3冊とP.Dawsonの3冊です。
ナソロジーとPMS,Dawson以外の書籍は、一部の理論のみを引用している場合や過去の理論の寄せ集めのようになって整合性が少ない書籍が多いため分類することが難しいと感じました。また、新たな理論もあるのですが、継続性が無く数年後には消えてしまっているものも多いので参考に値しないと考えました。
咬合理論の歴史は1900年初頭からの総義歯の理論を応用して有歯学の咬合理論となり、ナソロジーとPMS,Dawsonの2つの理論を中心に研究されました。1976年に開催された「Occlusion Focus Meeting」の結論はそれまでの咬合理論が一定の結論に達したと考えられます。そのため、それ以降はこれらの内容を理解した上での理論を展開しなければならないと考えています。
以上のことから参考にできる咬合理論の書籍はナソロジーとPMS,Dawsonに分類できる書籍だけだと考えました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
1978年の「Occlusion Focus Meeting」の書籍のまとめとして下記の内容が記載されています。
1、すべての(あるいは最大限可能な)歯は中心位咬合(Centric Relation Occlusion)で軽く 同時に接触し、咬合力を強めても歯や下顎の偏位はまったく生じない。
2、下顎のどのような偏心位においても、臼歯は前歯部の誘導歯より強く(またはそれ以前)に接触することはない。

追加
咬頭嵌合位と中心位は治療においてのみ一致すべきかに関する結論
1、誰も顆頭の最後退位を正しいものとして選んでいないことに注目すべきである。
2、中心位の位置は、反復により確認するのが最良であることは全員が賛成した。
3、中心位咬合を補綴的に都合の良い位置とする票と、治療のために受け入れることができる位置とする票が半々であった。この点については後に掲げる表によって、さらにはっきりするであろう。(咬み合せの歴史その36の表)
4、最も多くの意見が一致したことは、中心位咬合は、咬合が病理的であるという証拠が存在する時に のみ利用すべきであるということ、及びその位置を適切に利用するには、顎関節が健康でなくては ならないということである。
5、中心位の記録を得る最も一般的な方法は、両側性の誘導、オトガイ部の誘導及びガイドプレーン装置を用いながら術者が誘導する方法である。
6、中心咬合と中心位のずれは、咬合性外傷の前兆であるから、予防の意味で除去すべきであるとは誰も思っていない。しかし、異常機能の習慣の原因になりえるとほとんどの人が思っていた。
咬合理論の歴史において、この時点で世界的に最も著名な歯科医師が議論を行ない、このような見解が得られたのは画期的なことであると思われる。つまり、このMeeting以降はこの結果を踏まえて新たな議論が行なわれることが必要だと考えられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
中心位と最大咬頭嵌合位は一致させるべきか
このMeetingの議論の中で新たな議題として出てきた問題として、「咬頭嵌合位と中心位は治療においてのみ一致すべきか、この状態は本当に望ましいのか、単に適応できる状態であるのか、有害なものとなり得るのか。これらの疑問に答える決定的な科学的証拠がないことと、このMeetingで浮き彫りになった新たな議題となりました。そのため、Meetingの後に質問表の形で参加した9名に調査した結果がまとめられています。

<結論>
上記の表が結論をまとめたものです。9名の内6名の(Bernett 、Dawson 、Goldman、 Lucia、 Schȁarer、 Weisgold)は中心位と最大咬頭嵌合位が一致するべきとの見解です。一致しないと答えた残りの3名のCelenzaは「許容範囲があると信じる」 、Guichetは「中心位に近いが、一致しない。その範囲は0~0.25mm」、Ramfjordは「最後方の位置からやや前方(0.1~0.2mm)」です。この3名が主張する一致しない範囲は最大で0.25mmです。これをどのように評価するかの意見は分かれるところです。
但し、中心位から0.25mm以内に最大咬頭嵌合位があると考えられます。つまり、臨床においては咬頭嵌合位と中心位を一致させた後に調整すれ良いので誤差の範囲だとも考えられます。
また、PMS,Dawsonグループは1928年のSchuyler の論文以来、中心位と最大咬頭嵌合位と一致し自由域を設ける(long centric)としていますので、臨床においては許容範囲内だと考えられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
その後の中心位に関する見解

中心位に対する見解はその後も同じではないかと考えています。
Occlusion Focus Meetingの演者でナソロジーのCelenzaは2年後の1978年
「顆頭が関節窩内の上方と上前方の2点で支えられた状態が顆頭にとって最も好ましい中心位であると考えられた。適正顆頭位と呼ばれている。」 (Optimum condyler position)
1987 GTP-5 アメリカ歯科補綴用語集
「左右の下顎頭が上前方部においても関節結節の傾斜部と対向し、かつ関節円盤の最も薄い駆血な部位と嵌合している上下の位置的関係。この位置は歯の接触に依存しない。また、臨床的には下顎が上前方に向け誘導され、かつトランスバース・ホリゾンタル・アキシス(下顎の回転軸)の回りに純粋な回転運動を行う範囲にとどまっているときの位置である」
2016年 GTP-9(アメリカ歯科補綴学用語集)
「歯の咬合接触とは無関係に決まる上下顎の位置で、その位置において下顎頭は関節結節に対して前上方位をとり、純粋な蝶番運動を営む。中心位は強制位ではなく、生理的な下顎位で、患者はそこから開口、前方、側方運動を自由に行うことができる。中心位は下顎模型を咬合器装着する際に使用される、臨床的に有用かつ再現性の高い基準位である」
1978年の「Occlusion Focus Meeting」の見解から40年以上経過します。最も権威があると思われるアメリカ歯科補綴用語集においての中心位に関する表現は様々ですが、Occlusion Focus Meetingの結論から中心位の見解は現在まで変わらない考えられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
「偏心位の特徴」の結論 その③

一致しなかった点は臼歯において中心位咬合からの自由度とグループファンクションです。
犬歯誘導でポイントセントリックのナソロジーグループとグループファンクション、ロングセントリックのPMS,Dawsonグループの歴史から考えれば一致しないことは明確なのですが、9名の参加者に細かい点のこだわりがあるために一致しない点が多いようです。
しかしながら、基本的には偏心位における臼歯は離開することに合意しています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
「偏心位の特徴」の結論 その②

次に偏心位において①臼歯の非作業側の接触は無いこと②前方、側方運動時から、クロスオーバーまで前歯が接触することは全員が一致した意見です。つまり、前歯がガイドとなりクロスオーバーまで臼歯は離解することです。
ちなみにクロスオーバーとは下図のように下顎の側方運動時に臼歯は離開下状態で下顎犬歯が上顎犬歯の切端を越えて、上下前歯が咬合接触する状態です。この状態までスムーズに下顎が上顎前歯だけに接触しながら滑走することです。

少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Ⅲ「偏心位の特徴」関しての結論 その①
「偏心位の特徴」の結論の前にナソロジーグループとPMS,Dawsonグループそれぞれの偏心位に対する咬合理論の歴史を解説します。
ナソロジーグループ
有歯学の咬合理論は総義歯の咬合理論を基礎にしていました。ナソロジーグループもこの考えを基礎にしていたので、偏心位の考えは臼歯咬合を優先させたフルバランスでした。その後1950年に.K.Thomas がワックス・コーン・テクニックと共に咬合面形態と上下歯牙の咬合接触を考案していますが、この時も総義歯と同様に臼歯をフルバランスで作成した後に前歯を作成していました。そのため咬頭が隆線や頬側咬頭を接触しながら抜けるための臼歯の歯冠形態としてスチュアートグルーヴ、トーマスノッチが考案されました。
1960年にミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンに変更されてからも、その咬合面形態と臼歯からのフルバランスでの修復方法は変更されませんでした。変更点は、臼歯をフルバランスで作成した後に、上顎犬歯の舌面の形態を付加することによって臼歯離開咬合させ、臼歯が一定の間隔で離開することで咀嚼効率を保つというオーガニック・オクルージョンという理論を展開しました。
PMS,Dawsonグループ

SchuylerもPankeyも当初はフルバランスでした。
Schuylerの咬合理論は1966年に出版されたSigurd P.Ramfjord ; Major M.Ash書籍に記載されている咬合接触の状態の図が解かり易いので引用します。左図は咬頭勘合位と右図は下顎運動時のフルバランスの接触状態です。1947年に非作業側接触(黄色の接触)を排除し、1960年には作業側の臼歯舌側斜面(青色の接触)を排除し、1974年にDawsonが臼歯の接触(全ての臼歯の青色の接触)を排除してアンテリアグループファンクション(前歯の青色の接触のみ)と徐々に変更されてきました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
「Occlusion Focus Meeting」において
Ⅱ「咬頭勘合位の最適の特徴」の結論 その④

咬頭と傾斜面に関しては大きな問題ではないと考えます。
咬頭が対合歯のどの部分とどのように接触するかに関しては意見が分かれています。この見解の違いはナソロジーグループがPKトーマスの咬頭に対して3点接触の形式となるのに対して、PMS,Dawsonグループは咬頭頂に対して1点の窩が接触するためこのような見解の違いになります。(咬み合せの歴史 その30の下図参照)咬頭が辺縁隆線に接触する時も同様の違いになるため意見が分かれる結果になっています。
次に最大咬頭嵌合位において傾斜面での接触とは、面どうしの接触はすべきでないということで咬合接触は点で接触するべきだという意見で全員の意見が一致しています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
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「Occlusion Focus Meeting」において
Ⅱ「咬頭勘合位の最適の特徴」の結論 その③
最大咬頭嵌合位において前歯の接触はナソロジーグループが無し、PMS,Dawsonグループが有りもしくは微妙な見解です。

その理由として考えられる点は上下前歯の咬合接触時の上顎舌側の形態によるものです。ナソロジーグループは、下顎前歯が上顎前歯の舌側斜面に接触します。(下記左図) その結果、最大咬頭嵌合位で強く咬んだ時に全体の歯が少し沈むと上顎前歯に加わる力は歯軸方向だけではなく前方向にも力が加わります。そのため最大咬頭嵌合位における前歯の接触を無し、もしくは微妙な見解としています。
一方、PMS,Dawsonグループは下顎前歯が接触する上顎前歯の舌側面は平面です。(下記右図)その結果、最大咬頭嵌合位で強く咬んだ時に全体の歯が少し沈んでも上顎前歯に加わる力は歯軸方向です。
もう一点が臼歯の咬合接触様式の違いです。「偏心位の特徴」の結論として「咬み合せの歴史 その33」で記載しますが、基本的には偏心位において臼歯は離開して接触しないことが基本です。ナソロジーグループの臼歯の咬合接触はABCコンタクトのように臼歯の隆線の斜面と斜面の3点で接触します。そのため、臼歯を離開させるための前歯のガイドは下顎運動の初期から傾斜の必要があるからです。一方、PMS,Dawsonグループは臼歯の接触は咬頭頂と1点の平面の窩が接触するため、前歯が平面のガイドであっても下顎運動時に顆頭が下方に動くことによって容易に臼歯を離開させることが可能だからです。
「咬み合せの歴史 その30」にも記載

少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Ⅱ「咬頭勘合位の最適の特徴」の結論 その①
上記の表は①最大咬頭勘合位における最適な顆頭位の特徴の議論をまとめた表です。
ここで重要なポイントは、最大咬頭勘合位と中心位咬合は一致し、咬合力は歯の長軸方向へ力が加わることも参加者全員の意見が一致しています。解説としても最大限可能な歯は中心位咬合(centric relative occlusion)で軽く同時に接触し、咬合力を強めても下顎の変位が全く無いことです。どのように一致したかは改めて解説しますが、この点に関して参加した権威がある全ての歯科医の意見が一致している点は重要なことです。ちなみにこの書籍に記載されている中心位と中心位咬合は違いますが、最大咬頭嵌合位と中心位咬合は同じだと解釈してよいかと思います。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
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「Occlusion Focus Meeting」において
Ⅰ「最大咬頭勘合位における最適な顆頭位」

顆頭位がどの位置にあるときが中心位であるという点は全員が一致しました。
その位置を示したのが上記の図で、その解説として「顆頭がXの位置にあるときが中心位です。YやZの位置は生理的ではなくXらYは前方の限界運動であり,XからZは後方の限界運動でありこの2つの限界運動の範囲の中に中心位は存在する」という結論です。但し、中心位と最大咬頭嵌合位が一致するかは意見が分かれています。中心位の自由度に関しては、最大でも1/4mmといわれているように中心位におけるあまり大きい自由度は存在しないことを証明するのは困難であるとしています。
以上の結論から中心位は最上方位です。つまり咬合力が加わったときに変位はしませんが、上前方に咀嚼筋によって顆頭が牽引されることを踏まえておく必要があります。
このことは、1973年Dawsonが提唱した中心位は関節窩における最適の顆頭位置を最上位と一致しています。
少し専門的な解説です。
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これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

オクルージョンの考察 : 臨床へのアプローチFrank V.Celenza ; John N.Nasedkin共編 ;
1976年開催された「Occlusion Focus Meeting」の詳細をまとめた書籍が国内では、1980年にオクルージョンの考察 : 臨床へのアプローチとして翻訳本が出版されています。
私は、このミーティングは咬合理論の歴史の中で最も重要かつ意義な議論だと考えています。
この書籍の序文に「埋もれた知識自体は何の価値も無いが、広められた知識は値踏みできないほど貴重である」とあるように咬合理論を徹底的に討議され、一致した点と不一致の点を明確にしたことが最も価値ある情報だと考えられます。
私が重要かつ価値があると思えたもう一つが咬合理論を3つのポイントに絞込んだことです。
一般的に咬合理論は難しいと多くの歯科医から聞きます。しかしながらこのミーティングで議論された3つのポイントは咬合理論を理解する上で最も重要なポイントであり、この3点さえ理解すれば咬合理論の基本が網羅されるのでシンプルに理解できます。私の認識では咬合理論が難しいのではなく、個々の患者ごとへ応用するための診査診断と字の理論を臨床に活かすための技術とが難しいと考えています。
余談ですが、この書籍の翻訳者の津留宏道先生は広島大学歯学部歯科補綴学第一講の教授で、歯学部附属病院長、歯学部長を歴任されてきた偉い先生です。たまたまなのですが、ご子息は私の大学時代の同級生でした。しかも、出席番号が近かったので一緒に楽しい大学生活を過ごしています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
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「Occlusion Focus Meeting」開催
1976年2月シカゴで会合した10名の臨床家によって理想の咬合理論を求めて運営委員会を立ち上げられ、Las Vegasにて行われるアメリカ歯科医学会と同時に1976年11月13,14日の2日間にわたって「Occlusion Focus Meeting」を開催することを決定しました。
議論の方法は、咬合について権威がある9名の歯科医師が下記の3つの論点に対する考えを発表し、その内容を討論するという形式で、互いの不一致と共に一致する点を強調することを目的としました。
有歯学の理想の咬合を議論するための3つの論点として
1、最大咬頭勘合位における最適な顆頭位
2、咬頭勘合位の最適の特徴
3、偏心位の特徴 の3点です。
議論を行なう歯科医の選定基準は特別な概念や思考の学派ならびに、全ての学問に関係し、各分野で卓越しており、咬合について権威がある9名が選出されました。当時の咬合理論の主流であったナソロジーグループからは開業医のCelenza 、Guichet、フャエリー・ディキンソン大学 補綴学Lucia 。PMS,DawsonグループからはPankey Institute所属の Bernett とDawson、ミシガン大学 歯周病学の Ramfjord のそれぞれ3名ずつが選出されています。その他はチューリッヒ大学 補綴学のSchȁarer、ボストン大学 病理学のGoldman、ペンシルバニア大学 歯周病学Weisgoldの3名で、合計9名の選出された歯科医を中心に討議されますが、この他にも15名の著名な歯科医師が運営と討論に加わっています。
Ramfjordは書籍の内容からSchuylerの咬合理論を参考にしていたと推測できます。おそらく1920~40年代にかけてSchuylerが発表した多くの論文を参考にしているのではないかと思います。また、Dawsonは歯科大学卒業後にRamfjordのところで学び、その後Pankey のPMセミナーを受講しました。このような観点からもRamfjordはPMS,Dawsonグループの咬合理論と共通点が多いので、同じグループとしています。
チューリッヒ大学 補綴学のSchȁarerは国内で出版されている書籍の内容からはナソロジーの考えに近いと思われます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
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PMS、Dawson その⑩
1973年Dawsonは中心位を提唱し関節窩における最適の顆頭位置を最上位とし、その決定法を発表した。また、補綴学用語集に用語中心位が再定義されます。これがDawson法といわれる下顎を中心位へ誘導する方法ですが、資料をたどればDawsonは1960年初頭(上図右)からこの誘導法を使っていたようです。
そして、1974年Dawsonは、日常臨床を通じてPMSの方法論を論理的かつ科学的に分析する過程でSchuylerと議論し、全咀嚼系の問題の診断と治療に発展させそれらの集大成として「オクルージョンの臨床」(上図左)を出版します。
つまり、 Schuylerの理論を基礎にPankeyが治療法を考案し MannがまとめたPMS理論をが科学的に立証したのがこの書籍です。
この書籍はPMS理論を基礎としていますが、Dawson とSchuylerが夜を徹して議論し、Dawsonの理論に従ったのが下顎運動時の咬合理論です。Schuylerは1961年から作業側の中切歯から最後臼歯までの全ての歯牙によって側方圧を分担させる(その他の歯は離開させる)グループ・ファンクションド・オクルージョンを提唱していましたが、Dawsonによって作業側の前歯によって臼歯を離開せるアンテリア・グループ・ファンクションが最善であると変更しました。
余談です。
Dawsonは、PMSの咬合理論はPankeyの診療哲学である診査診断から患者教育、治療手法、経営から歯科医としての人生哲学にまで及ぶ診療哲学を実践するため理論の一部であると考えました。
DawsonはPankeyの哲学を自分の生き方とし、その哲学を忠実に実行し彼自身の言葉で思想を語り、独創的に発展させてきました。PMSの方法論を「なぜ」という問題理由と治療理由を単純化することで
「どのように」治療すればよいかを明確にし、シンプルにするための方法論を論理的かつ科学的に分析しました。
少し専門的な解説です。
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これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
PMS、Dawson その⑨
1961年Schuylerは
「前歯誘導の機能とその重要性」と作業側の中切歯から最後臼歯までの全ての歯牙によって側方圧を分担させるグループ・ファンクションド・オクルージョンを提唱します。
PMS、Dawsonグループの下顎運動時の咬合様式の歴史はSchuylerが1947年に非作業側接触を削合することを提唱しています。つまりこの時点で下顎運動時は作業側の頬側、舌側の接触が最善とされたため、フルバランスから脱却しました。1961年には作業側の舌側の接触を排除して、中切歯から最後臼歯までの全て作業側の頬側によるグループ・ファンクションを提唱されたことになります。

1972年 Pankeyは診療哲学である診査診断から患者教育、治療手法、経営から歯科医としての人生哲学にまで及ぶ理論とそれを実践するための治療方法としてのPMS理論を伝えるためにパンキーインスティチュートを開講します。
Pankeyは1989年に亡くなりますが、私が歯科大学を卒業した1985年、CDCの創立25周年記念行事がPankeyを招いて旧東京八重洲ホテルにて講習会が行なわれました。大阪歯科大学を卒業した直後でしたが、ODRGに所属していた大学の同級生にすすめられて受講しました。
私の世代でPankeyの講義を直接聴いたことがある方はかなり少ないと思います。但し、卒後直ぐの私にとってその内容を理解することは殆ど不可能でしたので2日間の講演会は睡眠学習でした。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その⑧
1958年PMテクニックや理論の論議するために全米各地から選別した歯科医師12名によってOcclusal Rehabilitaion Seminarが結成されました。そして、毎年テクニック内容、展開手順、理論の論議を継続して行なわれました。このようなメンバーの弛まぬ研究と議論によって多くの成功例を積み重ねた結果、このテクニックが真の歯科専門職を生むと確信でたようです。
予断ですが、メンバーは全米と記載されていますがアメリカ東部だけです。
SchuylerがPMセミナーを受講した時、Pankeyが冗談半分に
「クライド(Schuyler)君は君の知っていることを仲間に伝えずに死んでしまうよ。」
と言ったそうです。このことをきっかけにSchuylerはPM哲学の教授になり治療哲学の構成に協力しました。そしてSchuylerの計りしれない貢献を認め1960年Schuylerの名前が加えられて「PMS理論」へと発展します。
1954年に歯科大学を卒業したDawsonは、ミシガン大学のPerioの Ramfjord のところで学んだ後にこのセミナーを受講しました。その時、 Pankeyは彼の卓越した素質を認め主要メンバーに加えました。Dawsonは、「なぜ私のような若者が選ばれたのか不思議だった」と当時のことを振り返っています。
余談です。
Pankey哲学、PMS理論が日本国内に広められるきっかけとなったのが川村泰雄(ホリスティックデンティストリー)先生、川村貞行(大阪デンタルリサーチグループ)先生、峯田拓弥(CDC)先生が、Occlusal Rehabilitaion Seminar 12名の歯科医師の一人でもあるDavid A. Hoffman (Milwaukee)との出会いがきっかけです。DavidからPankeyを紹介され、その後、山口和久(大阪デンタルリサーチグループ)先生が長期渡米されて、David A. Hoffman、Pankeyと親交を深められ信頼を得られたことによってPankey哲学、PMS理論を日本国内に広めることを許可されます。
そして1961年CDC(コンディニアル デンティスト クラブ)、1962年ODRG(大阪デンタルリサーチグループ)が、この考えを広めるためのスタディグループとして創設されます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
PMS、Dawson その⑦
1950年アラバマ大学で教職にあった Arvin W. MannはPankeyの咬合のリハビリテーションに興味を持ちました。Mannが、この分野の高度な教育背景を持っており、非常に意欲的だったので、Pankeyは共同研究することにしました。
Mannは「私たちはこの方法を歯科医業のために完成しなければならない」「技術を学習し、整理統合し、自分の商品棚におかねばならない」と言い続け3年を費やしてPankeyが蓄積した咬合理論とその技術を整理統合し、モンソン咬合器のかわりにP-M Instrumentを開発しました。
1954年P-M Instrumentを使った臨床の結果を確認し、PMマニュアルを発表しました。
「このテクニックは理解してしまえば、それほど難しいものではない、一般開業医が殆どの症例に上手に活かせる」「最適に咬合を調和させるために必要なことは何でも叶えてくれる」
しかし、「患者が何を必要としているのか見極め、その要求を満たすのは歯科医師の大きな責任である」
とも表現しています。
PMS、Dawsonの治療方法の特徴は下顎の前歯の位置から決定します。次に上の前歯の位置を決める時に下顎の前歯が咬み合う上の前歯の舌側の形態を決めます。この時に最大咬頭嵌合位と下顎を動かした時の上下前歯の当たり方(前歯でのガイド)を決定します。次に下顎の咬み合せの位置を決めるのに使用するのがP-M Instrument(上記の写真左)です。
当時のPMS、Dawsonの理論は非作業側の接触が無く、作業側のみのフルバランスです。このような咬合接触を付与するためには適度な咬合湾曲が必要だったため、その湾曲を下顎に付与するために開発された器具です。後に、この器具はBroadrick咬合平面分析板(上記の写真右)に換わりました。
余談ですが、当時のナソロジーは臼歯をフルバランスで修復した後に上下前歯を修復していたのでPMS、Dawsonの治療順序とは全く異なっていました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その⑥
1934年Schuylerは理論をより進化させ咬合ストレスを分配させ、急傾斜の咬頭斜面をでき得る限り緩斜面にすることを目的とし、限定した歯面を選択的に削合調整する、選択的点削合(Selective Spot Grinding)を発案しました。当時の咬合理論の基本はフルバランスですが、咬合面の隆線を削合することで側方への力を少なくしようと考えました。
1947年には順序だった選択的削合法が提示され
・中心位で最大多数歯にストレスを均等に配分すること、
・偏心滑走接触は、有害な非作業側接触を削合すること(この時点でフルバランスから転換)
・作業側偏心位で最大機能を確保し、機能ストレスの配分のために上顎前歯の舌面を削合すべき(上顎前歯の舌側の隆線も削合)と述べています。
上記の挿絵はPankeyがこの調整法をより具体化させたもので、この理論はDawsonの咬合調整法の基礎となっています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その⑤
1931年Pankeyにとって重要な意味を持つ3つことがあった年だと回想しています。
1つ目が、ノース ウエスタン大学にて口腔診査、診断、診療計画について学びました。それと同時に応用心理学も学び、歯科診療哲学を公式化する概念と原理の開発に導いてくれる結果になります。同時に歯科医師の生活を取り巻く心理的な問題解決の糸口ともなり、これがPankeyの歯科診療哲学の原点となります。
2つ目はSchuylerの論文1926年と出会いです。
Pankeyはアメリカ歯科医師会の図書館に咬合に関する資料なら何でもよいから送ってくれるように依頼したところ、その返書はペラペラの薄いSchuyler論文でした。Pankeyは当時のことを「この論文を私が理解できた範囲はごく僅かで、まるで外国文献のようで、何が書かれているのかその内容を把握することができなかった。しかし、重要なことを含んでいるように感じられて仕方がなかった。」と回想しています。これがPankeyとSchuylerの出会いでした。
3つ目がPankeyの所属するマイアミ スタディ グラブにミネアポリスのフレデリック メイヤーが訪れ、総義歯の機能的咬合を"Chew-in" テクニックで完成する五日間の総義歯コースを受講できたことです。この考えを基に可撤式局部床義歯や,咬合高径が不安定な総義歯に応用したところ、非常に良い治療結果が得られることを確認し、この治療法を研究するようになりました。
PankeyはMeyerのChew-in"テクニックとSchuylerの顆頭誘導は第二義的なものと考え前歯が下顎を主導的に誘導する考えを基にクラウンブッリジにも応用するテクニックを考案します。これがFGPテクニックの原点となります。
また、Meyerの「現在使用している咬合器を全部捨てさり、平線咬合器に戻ろう。そうすれば、私たちは今まで咬合器を使ってできた咬合より、良い咬合が得られるであろう」
「自由自在に手指を操り、難しい器械操作技術を必要としない完全機能咬合として、人間の顎口腔系を咬合器して扱う」という考えに同意しています。
1930年頃のナソロジーはより正確な下顎運動の計測のために、下顎運動の回転軸の中心を計測し咬合器上で正確に下顎運動を再現するためにフェイスボウが開発し、ハノウキノスコープで再現しようとしていた時でのですので、その考えとは全く異なります。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その④
PMS、Dawsonの咬合理論の主となるPankeyは1924年、ケンタッキーの小さな町で歯科診療所を開業しました。当時の歯科医療は歯を保存するための治療は殆どなく、痛みや問題があれば抜歯をして義歯というのが常識でした。Pankeyも同様に抜歯して局部床義歯、総義歯の作製することが主体の診療でしたが、開業して18ヵ月後の1925年Pankeyは「もう一本たりとも、歯を抜くことはしない。人々の歯を救うことに一生を捧げよう。」と考えフロリダに移転開業し治療方法の模索がはじまります。
当時は一部のパイオニア的な歯科医師たちが歯を抜かないための治療と予防、口全体への修復治療方法の研究を始めたばかりでした。
1928年、Miami Study ClubでMilwaukeeのHarry Mortonが開催したMonson球面学説とその咬合器(写真)による咬合リハビリテーションコース(口全体へ治療)を受講したPankeyは、その考えを基に5症例の再構成治療を試みました。しかしながら、その患者は不快感を訴えたので、「私が行った仕事内容は、うまくいったとは到底思えなかった」と考えこの治療方法を断念しました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その③
1900年初頭にGysiがゴシックアーチを開発してから歯科界では長年に渡って中心位(顎関節の適正な位置)、最大咬頭嵌合位(上下の歯が最も多く咬み合っている位置)はゴシックアーチの頂点で、一致させることが常識でした。
Schuylerの理論も同様に
・中心位は下顎の最後退安静位で、その位置から側方運動ができる
・ゴシックアーチトレーサー(ゴシックアーチの記録をとる装置)を使用できない有歯顎での中心位はHickok bite-checkの牽引器(上記左の写真)を使用し3pound(1360g)で牽引することでした。
しかしながらSchuylerの独自の見解として
有歯顎、無歯顎を問わず無害な平衡咬合関係の第一必要条件は、
「中心位と中心咬合位の調和であり、中心位から安静中心位までの水平の自由性がある」
と考えられました。
上記の右図はSchuyler が1960年頃にPM哲学(Pankey 、Mannが考案した理論のセミナー)の教授に就任し講義で使用されていた資料です、ゴシックアーチの頂点から少し前方に最大咬頭嵌合位が示されています。また、中心位から安静中心位までの水平の自由性をもたせています。
このことから、Schuylerの考える最大咬頭嵌合位はゴシックアーチやHickok bite-checkの牽引器で中心位の位置を確認した上で、最大咬頭嵌合位はその少し前方で中心位を含めた面(long centric)だと考えていたようです。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

PMS、Dawson その①
アメリカの交通機関の発展はライトフライヤーが1903年、フォード1型が1908年です。アメリカで西海岸と東海岸との距離は約5000Kmで移動方法は大陸横断鉄道しかなかった時代背景から当時のアメリカの西海岸のナソロジーとアメリカの東海岸PMS、Dawsonの容易な交流は難しかったと考えられ独自の研究が続けられたと推測できます。
1926年Mccollmを中心に「カリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティ」が設立された同じ年に、
Clide H. Schuyler はニューヨーク・デンタルジャーナルに「咬合の機能と機能不良(不正咬合)についての基本原則と、咬合調和を修復するための基本的条件」という短い論文を発表されました。これがPMS、Dawsonの咬合理論の始まりだと考えられます。この論文は有歯顎の咬合理論でしたが、従来の総義歯の咬み合せの理論を基礎にしたナソロジーの理論とは違った観点から述べられています。
1928年に発表されたSchuyler の論文では、総義歯と同様に天然歯列においても中心位は生理的に重要であり、中心位と最大咬頭嵌合位と一致しないことは一つの不正咬合であると考えました。しかしながら、最大咬頭嵌合位において咬頭頂に接触する対合歯の小窩底に自由域を設け(long centricといわれる水平的自由域)ました。偏心位(下顎運動時)においては歯の長軸に沿はない側方力をできるだけ排除できるかどうかにかかっていると論理を構成しています。つまり、咬合調和のためには前歯誘導を基本に、臼歯の側方力を排除するという概念です。つまり、Schuylerは総義歯やナソロジーの臼歯の咬合接触を基本とした咬合理論とは大きく違っていました。
後にSchuylerの論文を基にPankeyが新たな咬合治療法を考案し、その方法をMannが整理統合して理論を確立しました。その理論をDawsonが科学的に立証して咬合理論として確立し現在も認めら続けています。このような経緯があるため「PMS、Dawson」と記載しています。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

ナソロジーの咬合理論 その⑦
ナソロジーの中心位、最大咬頭嵌合位の変遷
ナソロジーの原点は有歯学の治療に際して総義歯より精度が高く再現性の高い最大咬頭嵌合位(中心位)を再現しようとしたことです。その始まりとなったのが1920年頃Mccollmは変化しない回転軸を求めて、顆頭を関節部の最後壁に押し付けた状態で下顎を開閉させれば、顆頭は単純な回転運動になり、変化のない再現性の高い回転軸を計測できるこが可能になると考えたことです。これがターミナル・ヒンジアキシスの理論です。(上図左)
その後の約40年間はナソロジーの主流の理論でしたが、1962年にGrangerは顆頭の理想的な位置を求めて顆頭は関節窩内の後方と上方の2点に固定されると修正し(上図中央)、1973年にStuartは関節窩内で、顆頭を3次元的に制するために内側からのもう一つの接触点を加えることで、3つの支点によって安定した位置に固定させると考えられました。これがRUMといわれる rearmost, uppermost, midmostです。(上図右)
しかしながら、ターミナル・ヒンジアキシスへの下顎の誘導方法は確立されていましたが、1962年の後方と上方の2点、1973年のRUM は理論だけで明確な誘導方法は不明です。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

ナソロジーの咬合理論 その⑥
犬歯誘導へ その2
現存する古代人の多くの歯が残っている頭蓋骨(skull)を分析すると(上の写真は古代人の上顎で、全ての歯が磨り減っています)、高齢になると共に咬耗し、フルバランス(下顎を動かした時に常に全ての歯が接触している状態)のような状態になっている場合が多く見られます。このことから総義歯(歯が全く無い義歯)の咬み合わせはフルバランスが理想的な咬合だと考えられてきたと推測されます。
ところがD'Amicoは多くの頭蓋骨の中で咬耗していない頭蓋骨を見つけ出し、下顎運動時は犬歯によって誘導されたことで咬耗しなかったと考え、これが理想の咬み合わせだと考え歯を咬耗させないためには犬歯誘導が良いと考えた理論を発表したと推測されます。


当時のナソロジーはフルバランスで修復されていたことと、咬頭の磨耗が咬合性外傷による問題が起こることが多かったことをD'Amicoの論文を翻訳した保母須弥也先生が書籍の序章(上の画像)に書かれています。これらのことから、ナソロジーの従来のフルバランスでの修復ではなくD'Amicoの理論から考えられた「ミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン」にすることで、今まで起こっていた咬合の問題が解決されると考えたと推測されます。
その思いが「プロテクテッド(保護)」という言葉に表れています。
臼歯離開でも咬合面の形態はそのまま
1960年に「ミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン」が発表された10年前の1950年にP.K.Thomasはたワックス・コーン・テクニックを発表しています。この理論は有歯学でフルバランスの咬合を付与するためでしたので、「ミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン」の理論によって犬歯による臼歯離開咬合によってその咬合面の形態の必然性はなくなったと考えられます。しかしながら、そのままの咬合面形態と作成方法を生かして「オーガニックオクルージョン」という新たな概念が考えられます。その理論は臼歯が離開した後に上下の臼歯の咬合面が一定の距離を保って離開することで咀嚼効率を良くすることが必要だと考えられました。その結果、従来のP.K.Thomasの作成方法と同様に臼歯をフルバランスで作成した後に、臼歯を離開させるために犬歯の舌側に形態を付与する方法が考案されました。
あくまで推察ですが、1960年当時のナソロジーではP.K.ThomasがMccollmの後継者としての地位を確立していたのではないでしょうか。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Angelo D'Amico
The Canine Teeth, Normal Functional Relation of the Natural Teeth of Man, 1958
保母須弥也 監訳
ナソロジーの咬合理論 その⑤
犬歯誘導へ その1
1958年D'Amicoが発表した論文では有歯学のフルバランスを否定して犬歯による誘導を提唱しました。つまり、総義歯から続いていたフルバランスといわれる下顎を動かした時に常に全ての歯が接触している状態ではなく、有歯学では最大咬頭嵌合位(全ての歯がしっかりと咬んだ状態)、から下顎運動時(下顎を左右、前方へ動かした時)は犬歯だけが接触して他の歯は接触しない状態が良いと考えました。
D'Amicoの理論の基礎になったのが自然人類学的立場から、約200万年前から人も含めた霊長類の天然歯の起源と進化を分析し、人の理想咬合として犬歯誘導を提唱しました。
但し、現存する殆どのスカル(頭蓋骨)に残っている歯は磨耗しています。その一部に磨耗が少ないスカルがあり、それを理想の咬合と考えたと推測されます。
1960年ナソロジーはD'Amicoの論文を基に「ミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン」の概念を発表しました。この考えは犬歯が滑走運動時(下顎運動)に咬頭(咬み合う時に接触する部分)を持つ臼歯と前歯を保護し,臼歯の咬頭は嵌合(上下の歯が咬み合う)することによって中心咬合(全ての上下の歯が接触する)を保ち,前歯を保護する。さらに前歯は切端で咬合(下顎を前へ動かした時)する時に臼歯の咬頭を保護するという考え方です。
「ミュチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン」を要約すれば臼歯は前歯を、前歯は臼歯の咬み合わせを保護すると解釈できます。
少し専門的な解説です。
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ナソロジーの咬合理論 その④
1950年パントグラフの開発されたのと同じ年
P.K.Thomas は修復物(歯を治療する時の冠など)を作成するための手法(ワックス・コーン・テクニック)を考案しました。その形態は崩出直後(歯が生えた直後で磨り減って無い状態)の解剖学形態(学問的な形)に近い形態で上下歯牙の咬合接触(上下の歯がどの部分で当たるか)の基準を示しました。
当時のナソロジーの考えは総義歯の基本的概念と同様にフルバランス(下顎を前方、側方に動かした時に全ての歯が接触する)の様式を有歯顎(歯がある)へも引き継ぎました。P.K.Thomas が考案したこの手法も、この考えに従った咬み合わせを実現させています。現在でもこの形態や作成方法は支持する歯科医や技工士は多いようです。
ナソロジーの修復方法
P.K.Thomasの咬合面形態でフルバランスの咬合接触を付与する方法として、臼歯の咬合面から作成されました。またこの考えはナソロジーを学んだ歯科医師の基本とされてきたため、修復の順番からナソロジーグループであることがわかります。また、「スチュアートグルーブ」「トーマスノッチ」と命名された歯の形態はフルバランスを付与しようとしたために咬頭が通過するために考えられた形態です。
<余談です>
P.K.Thomasはニューオリンズの孤児院育ちでしたがMccollm に雇われました。その後、Mccollmから学費の支援を受けて1939年USC卒業(歯学部)します。
P.K.Thomas は1949年Mccollmが卒中で倒れてから、1969年に亡くなるまでが面倒を見られたそうです。Mccollmが倒れた時にナソロジーは混乱しますが、 P.K.Thomas の卓越した講演能力でナソロジーを牽引していく立場になります。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

ナソロジーの咬合理論 その③
1950年3次元的に下顎運動を記録するナソグラフを進化させて、6つの描記板に記録することによって3次元的に分析したパントグラフが開発されました。(写真左)1955年パントグラフの記録を再現するための全調節性の咬合器が開発されました。(写真右)
1800年代は総義歯(歯が無く入れ歯だけ)の咬合理論しかなく、安定して良く咬める総義歯はフルバランスという下顎を前後左右に動かした時に全ての歯が接触し続ける咬み合せが主流でした。その理論は1900年代中盤になっても理想の咬合理論だと考えられていたため、ナソロジーもその理論を引き継ぎ、有歯顎(歯がある)においてもフルバランスが理想と考えられていました。
ナソロジーは有歯学においてフルバランスを再現するために総義歯より高い精度が必要だと考えたため下顎の動きをより正確に記録し、咬合器に再現するための機器の研究開発が継続されました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

ナソロジー その②
1900年初頭からアメリカ西海岸で研究されたナソロジーは下顎の運動を分析しそれを再現するための精度の高い機器の開発を続けました。その中心になったのが機械類に精通していたStuartです。
1929年下顎運動を正確に記録するための装置としてセントラル・ベアリング・スクリューを用いたナソグラフ(写真左)を開発しました。その記録を精度が高く調節機能が付いているハノウキノスコープ(写真右)で再現しようとしましたが上手くいかなかったようです。
ナソスコープ
そこで、1934年 ナソグラフで記録した下顎運動を再現するための装置としてナソスコープ(咬合器)が開発されました。この写真は本物のナソスコープです。舘野先生がPKトーマスから譲り受けた物を撮影させていただきました。咬合器の上面にサインがあります。
少し専門的な解説です。
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これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

ナソロジー その①
1926年Mccollmを中心に「カリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティ」が設立されました。
そのメンバーは、Mccollmの考えに心酔し機器類に強いStuart、教育学・農学・化学・生物学を学んだ後に歯科大を卒業し、その後アングル矯正学校で学び、開業していた Stallartと16名の歯科医師です。このグループは
「顎口腔系における解剖学・組織学・生理学・病理学などの見地により、
診査診断、治療計画を基礎とし、顎口腔系を機能的な1つの単位ととらえ、その調和を図る」
ことを目的として研究が行なわれ、これがナソロジーの咬合理論の始まりだと考えられます。
このグループは総義歯の咬合理論を基礎に有歯学に応用するために、より正確な上下の歯の咬み合う位置と下顎の動きを精密に計測し、その動きを再現するための精密な咬合器の研究開発が行なわれました。その理由は、総義歯は歯ぐきの上のため少し動きますが、歯は骨に埋まって動きが少ないため総義歯の理論より高い精度が必要と考えたからです。
最初に研究されたのが上下の歯が咬み合う位置を決定する方法です。
下顎が開閉する時に顆頭(下顎の顎の関節部)が回転軸の中心となります。1920年初頭にMccollmは、変化しない回転軸を求めて、顆頭を関節部の最後壁に押し付けた状態で下顎を開閉させれば、変化のない再現性の高い回転軸を計測できるこが可能になると考えました。これがターミナル・ヒンジアキシスの理論です。回転軸の中心を決定して計測し、再現できれば上下の歯が咬み合う位置は決定できます。
1927年その回転軸の中心を計測し咬合器上で正確に下顎運動を再現するためにフェイスボウが開発されました。

※ターミナルと表現した理由は、この位置が基点となるという意味がこめられていたと思われます。欧米の駅は阪急梅田駅、昔の東横線の渋谷駅のように基点でこれ以上へ行けない形式です。つまり回転軸の中心の顆頭の位置が基点でこれ以上後方へ行けないことでターミナルとしたと憶測できます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
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足踏みエンジン 電動エンジン
総義歯から有歯学へ
歯を全て失った場合に作成するのが総義歯で、歯に行うのが有歯顎(歯がある場合)の治療です。総義歯は歯ぐきの上に乗っかっているため、外れないことと、咬みやすくすることが課題です。一方、有歯学は全ての歯が均等に当たることで咬めるので、個々の歯を踏まえた全体の咬み合わせをどのようにするかが課題です。
総義歯の咬み合わせは1900年初頭に開発された器具や理論がいまだに使われていることから総義歯の咬み合せの理論の概要はその時代に確立されたと考えられますが、有歯学の咬合理論は1920年頃から研究が始まります。ここで疑問なのが総義歯の研究は100年以上も続けられてきたのに、有歯学の咬み合せの理論がその間に研究されなかった理由です。
1800年代半ばから1900年にかけての産業革命によって工業化が進み全ての産業に大きな変化がありました。歯科界においても同様で(写真左)から電動エンジン(写真右)に変わりました。このことは歯を削る能力と効率が格段に改善されることとなり、多くの歯を効率よく削ることが可能になり、口全体の有歯学の治療が行われるようになりました。その結果、口全体を治療するための有歯学の咬み合せの理論が研究されるようになったと考えられます。つまり、足踏みエンジンでは治療できなかったので、研究されなかったというわけです。
そして1926年2つの有歯学の咬合理論が産声を上げます。
アメリカの西海岸ではMccollmが16人友人を集めてカリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティという小さなスタディーグループを設立します。アメリカの東海岸ではSchuylerがニューヨーク・デンタルジャーナルに論文を発表します。この2つの小さな始まりが世界の咬合理論の発展に大きく寄与することになります。
少し専門的な解説です
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。
Adaptable Articulator
咬み合せの理論は総義歯から その④
下顎の運動を3次元で記録する装置の開発によって、一人ひとりの下顎の動きを計測することが可能になりました。
1912年 その記録を再現するためにAdaptable Articulator(咬合器)が開発されました。この機器は顆頭部(顎の関節部分)と前方に調整機能が付いており、現在使用されている咬合器の形態とほぼ同じです。つまり、現在の咬合器の原型をGysiが開発したことになります。
当時の理論は、全ての歯を失った人に唯一残されているのが顎の関節の動きです。そのため、その動に適応した咬み合せの義歯を作成することが理想と考えられていました。また、下顎を動かした(左右と前方)時に全ての歯が咬み合う(専門用語でフルバランスと言います)状態が理想とされていました。
そのような義歯を作成するためには、下顎の動きを正確に記録するための装置と、その動きを再現するためにこの咬合器(Adaptable Articulator)が開発されたのです。
Simplex Articulator
しかしながらこの咬合器は市場の競争の中ではまったく売れなかったたようです。そこで、
1914年、集められた下顎の動きのデータを基に調整機能の無い平均的な数値で作成されたのがSimplex Articulator(平均値咬合器)です。80%の総義歯の患者に適応させるために、下顎を動かした時に平均的な動き方に設定してあるので、この咬合器を使えば多くの人の総義歯を容易に作成でるのです。
この咬合器は私が学生の時の総義歯の作成時に使いましたし、現在でも学生実習では使われているようです。つまり、100年以上も前に総義歯の基本的な考え方が確立したとも考えられます。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

咬み合せの理論は総義歯から その②
1805年のGariotの発明から1900年初頭までの約100年間は、顎や歯の形態の分析し定量化することが研究されボンウィル三角(William G.A. Bonwill)、バルクウィル角(Francis H. Balkwill)、スピーの湾曲(Ferdinand Graf Von Spee)といった一定の法則が考えられました。また、クリステンセン現象(Christensen)という下顎が動いたときの上顎の位置関係の特徴が発見され、その動きを再現しようとした機器(咬合器)が開発されました。
顎や歯の形態と下顎の動きを解析しようとした理由は、義歯に並べる歯の位置と上下の歯の咬み合わせの理想を追求するための研究でした。上下の歯が咬み合う位置の研究だけであれば難しくないのですが、下顎を前後左右に動かした時にも、全ての歯が接触することが良い義歯され(フルバランス)ました。この理論が確立した時期は不明ですが当時の文献から1800年代中旬からこの考えが主流になったようです。そのため、咬み合わせの研究がより高度になりましたが、現在でもこの理論は変わっていません。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

咬み合せの理論は総義歯から その①
咬み合わせの理論とは上下の歯がどのように咬み合うのが理想であるかを研究した学問です。
その起源は1805年、パリの歯科医のGariotが執筆した「口腔疾患」という書籍(写真左)の中に上下の顎の模型(歯の無い状態)の位置関係を再現しようとした器具(写真右)が記載されており、これが咬み合わせに関する初めての記載なので咬合理論の始まりだと考えられています。
この器具の目的は総義歯(歯が全く無い時の義歯)を作成する時、上の顎と下の顎の型取りをした後に上顎と下顎の模型の位置関係を再現したものです。口の外で上顎と下顎の位置関係が再現できたことによって、この器具で作成された義歯は、口の中へ装着された時に、上下の義歯がしっかり咬み合うことになります。このようにして咬合理論の研究が始まりました。
少し専門的な解説です。
「咬み合せの歴史」を書くに際し、大阪歯科大学図書館が所蔵している咬合、顎関節、総義歯の書籍と関連する学会誌約350冊に加えて、「オクルージョンの臨床」第2版の訳者の川村貞行先生から頂いた1900年代初頭からのアメリカで発表された咬合に関する論文、初期のナソロジーの大家の舘野常司先生から当時のお話と資料を頂き、金属焼付けポーセレン開発者の桑田正博先生からも当時のお話と資料を頂きました。
これらの情報を年代別に分類分析し、咬合理論の経時的変化を踏まえてまとめています。

咬み合せの理論は難解
咬み合わせに関する書籍は多く出版されていますが、その理論は多種多様です。そのため、私が歯科医として歩み始めた頃から最も難解な点が多い理論だと感じてきました。それは私だけではなく多くの歯科医が感じてきたようで、何年も臨床経験がある歯科医師でさえ難しいと感じていると言われる先生は多いようです。また、顎の一部で起こる顎関節症は顎の痛みや口が開きにくい、顎関節部の音だけでなく、肩こり、頭痛、姿勢や全身のゆがみ、不定愁訴まで関係するという考えもあります。その原因や治療方法には様々な考え方があるようで、中には咬み合せに関係ないという意見もあります。
このように咬み合せに関する理論は全ての歯科医師が納得できる統一の考えが少ないのが現状です。
そこで、咬み合わせの歴史を紐解くことで、その理論を私なりに分析しました。